シンクセルさんに深謝
フーコーいう「主体の死」とは、こういうことだったのか?
シンクセルさんが私の稚拙な文章を、解読していただいた。
照れと嬉しさが入り混じった心境です。
私が、書かなかったことや、かけなかった(表現できていなかった)
前言語状態を掬いとっていただき、
「あ、そういうことなのか」と気づきました。
「言葉」はそれ自体ラベルにすぎないと思う。F先生と来院者、両者に言葉がある。そこに行動が介在したとき、「意味」を持つ。意味が多義性に発展したとき自己増殖し、やがて意味が両者のもとへ帰着してあたらしい「言葉」が生まれるのでないかと期待してやまない。
書いた本人が、まだ書けなかった(意識化できなかった)のを
明瞭に示してくれる、コミュニケーション力を感じ取りました。
まさに、私の中にいる「他者」のようです。
すごい人だ。
